ちびねこナッチの冒険 鬼籍

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マルちゃんの思い出④


さて、ベランダのフェンスが完成して、マルちゃんも満足して
トイレはトイレでしてくれるようになり、私の寝床にも平和が
訪れ、毎日のハードな洗濯作業から解放されて一安心。

実際、どんなに眠たくても膝が痛くても、知らん顔をして
寝るわけには行かなかったよ、布団がを濡らされていてはね。

それからのマルちゃんは、日がなテーブルの上で寝て、
ご飯を食べて、出たい時にはベランダで過ごし、相変わらず
好き勝手な暮らしをしていたけれど(ニャンコさんの平常運転)、
痩せて足腰も弱ったんだろう、テーブルの上から直接床には
飛び降りられなくなっていった。

一度椅子に降りて、それから床に飛び降りるしかなくなったんだね。
無茶して骨折したら大変だから、それでいいんだよ。

でも食欲は旺盛で、チャオ(CIAO)の焼かつおというのを毎食のように
要求し、カリカリも今までより柔らかい物を好むようになり、年齢なりの
衰えも見せつつも、それでも家の中では女王様としての貫禄を見せつけ、
なっちゃん・ナナッピに睨みをきかせて、立派に君臨していた。

異変が起こったのは6月22日、サークルに行こうとしていた時だった。
水ゲロというのか、朝に水状のものを吐いていた。

なっちゃんは毎日、身繕いに余念がないので毛玉をよく吐く。
ナナちゃんは、しょっちゅう食べ過ぎて、それをすぐに吐いている。
でもマルちゃんは、吐くことがほとんどなかったから珍しいと思った。

その日から、マルちゃんはほとんど食べなくなり、そうかと言って
体調が悪そうでもなく、少しずつ痩せて細くなっていった。

2年前にアレくんが亡くなる直前には、まだ14歳ということもあり、
病院に連れて行くと、やせ衰えた腕に点滴をされて、その姿が
あまりにも痛々しく可哀想で、これでいいのか自問していた。
入院させたことも、強いストレスになったんじゃないかと思う。

だからマルちゃんの年齢で、無理やり機械に縛り付けることは
躊躇い、病院には連れて行かなかった。

そして一週間後の6月29日、その日はサークルの祭りの日。
玄関先に横たわっているマルちゃんに「行ってくるね」と声をかけ、
出かけて行ったのが、マルちゃんの生きている最後の姿になった。

帰ってきた時にはすでに冷たくなって、好き勝手生きて権勢を振るった
マルちゃんとの別れになった。

死に目に会えなかったことはさほど後悔していない。
後悔したところで、あの日にクラブ祭りに参加しないという選択肢は
なかったから。亡くなると判っていたらどうだったかはわからないけど。

きっとマルちゃんは、最期を看取って欲しいなんて思っていなかったと
今でも思っている。放っておいて欲しかったんじゃないかと思っている。

子猫の時からそんな子だった。
私に甘えるわけでもなく、お母さんにさえ甘えることもなく、
なんというのか天上天下唯我独尊?怖くて近寄りがたい子だった。

触ると怒るし、家猫さんとしては異質の存在だったけど、こちらも
畏敬と畏怖の念を持って接する、キョーレツで何やら怖い子だった。
マルちゃんには、つい敬語で喋ってしまうのが物語っているだろう。

ほとんどの時間を外で過ごし、ハンティングも大の得意だったし、
外食が好きだったんだろう、2~3日帰ってこなくても心配することは
なかったほどだ。お土産を持って帰ってくるのには閉口したけど。

それがマルちゃんが12歳か13歳の時、何故だか私の枕元で横になり、
頭を撫でると目と目が合って、初めて親子になった気がした。
なんだか少し分かり合えたような気がした瞬間だった。

それ以降は良好な関係を築き・・・とはならないのがマルちゃんで、
次の瞬間には鼻を鳴らして怒っていた。調子に乗るな、と。

そのマルちゃんとの生活は18年と5ヶ月と12日。
10392日という長きに渡ったから、思い出は尽きない。

そのマルちゃんとの別れは、予測はできたことだったけれど、
やっぱり突然で寂しいものだった。

6月29日はもう既に暑い時期だったから、お葬式は翌日。
2年前にアレくんを見送った葬儀場で荼毘に付した。


  雄々しいマルちゃん

    雄々しいマルちゃん。取り敢えず登るのが好き。


 マルちゃんの遺影に使用

   家でくつろぐマルちゃん。珍しくカメラ目線。


上の2枚の画像は、お葬式で遺影に使ったもの。
今は仏壇に飾ってある。

(以下 マルちゃんの思い出⑤ に続く)





マルちゃんの思い出③

マルちゃんのおもらしに困り果てた私が考えついた作戦は
ベランダで暮らしてもらうこと、そのためにはラティスで
ベランダを囲ってしまう事、それはやっぱりプロに頼むこと。

予算の事もあるし、簡単なものでいいのだけれど、それでも
見た目は綺麗にして欲しい。

そんな願いを、プロはちゃんと叶えてくれましたよ。

一応マンションの共用部分に当たるので、万が一どこかで
ケチが付いたら、簡単に外せる結束バンドで組んであり、
でも支柱もあるから、一応の強度もあって。

ラティスの加工もきれいにしてあって、やっぱりプロに頼んで
大正解。工賃も安くしてくれていたし、大満足。

とは言え、ベランダ自体がゴミ置き場のようになっていたから、
掃除をするのは大変だった。

新聞紙、雑誌、要らない本、ダンボール箱が山積みで、
最近は古紙回収車も来ないし、ネット通販での買い物が多くて
ダンボール箱の処理は頭が痛い。

これはこのマンションの欠陥なんだけれど、水が流れるはずの
溝に勾配がなくて水が溜まって流れない。

かなり強引に水を流して完成したラティスを張ったベランダが
完成してから真っ先にマルちゃんに披露。

マルちゃん用のベッド(ダンボール箱だけど)をセットして、
トイレも設置、気に入ってくれるかな?

マルちゃんをベランダに出すと、一応見て回ったあと、
満足げに家に入ってきた。外で暮らす気はないらしい。

嫌だとおっしゃるなら無理にベランダで暮らして欲しいとは
申しませんよ、はい。お好きになさってくださいな。

で、その後どうなったかと言うと、おもらしは一切無くなって
私の生活にも平安が訪れたよ。

時々、「お開け」とおっしゃるので開けて差し上げると、
ベランダに出て、そっと座り込んで時間を過ごす。

ただ外の空気を吸いたかっただけだったんだね。
そのために1ヶ月も実力行使でおもらしを続けていただけ
だったんだね、恐れ入りますよ、その実行力と執念には。

まだまだマルちゃんからは学ぶことが多いです。

マルちゃんの写真を見返していて、こんな写真を見つけて笑った。
画像のタイトルが「珍しいマルちゃんの長期滞在」だったから。


珍しい、マルちゃんの長期滞在

日付は2011年10月。
ほとんど外で暮らしていたのがよくわかるタイトルだ。
久々に長時間、家で寝ていたのが珍しかったんでしょうね。




 スマイリーシリーズ


最初はマルちゃんにベランダで暮らしてもらうという目的で
ラティスを張ってもらったはずだったのに、完成したあとは
みんなにとって色々な安心と幸せが訪れた。

長く暮らしたこのマンションは、2Fなので防犯上不安がある。
実際、昔泥棒が入ったこともある。白昼堂々だったらしい。

だからベランダのサッシ戸を開けて寝たことは今まで一度も
無かったのに、初めて開けて寝た。安心して寝られた。

だってラティスを超えて侵入することなんて出来ないもの。
ラティスに飛び付けば倒れるだけだからね、人間なら。
もうこれだけでも良かった良かったの話だ。

ラティスのフェンス

そして私はガーデニングをちょっとやってみて・・・

早速ファイト 

なっちゃんとナナちゃんもお気に入りのようだし・・・


3月の終わり頃に出来たので、完成してから3ヶ月以上も毎晩、
ベランダでウィスキーを楽しむ生活が続いた。

ベランダのテーブルセットはよくある庭用の鋳物でできたものとか、
木製の折りたたみとかではなく、そこそこ高級品(うちの基準で)の
室内用のもの。その椅子に座って寝てしまうこともあった。

そこそこ高級品のテーブルセットを何故ベランダに出しているのか?
もちろん金持ちだからではなく、ニャンコさんたちに引っかかれて
ボロボロになっているからだけなんだけど、座るには快適。

座る部分が革製で、サイドはラタンでゆったり座れる。
ボロボロにされる前に売ってしまえば良かったと後悔してたけど
こんな時間が過ごせるなら置いておいてよかったよ。
すべてニャンコさんたちのおかげです。ありがとう。


ベランダ完成


マルちゃんの思い出からちょっと外れた話になってきたかな?


(以下 マルちゃんの思い出 ④ に続く)









マルちゃんの思い出 ②

マルちゃんのおもらしに耐えかねた私が考えついた作戦、
それは、マルちゃんにベランダで暮らしてもらうこと。

ベランダで?それは可哀想・・・なんてことはない。
元々、一日23時間以上ベランダで、もしくは外で過ごして
いた子で、4年前まではそんな暮らしをしていたのだから。

ワイルドな野生児で、冬は温かく夏は涼しい家の中が嫌いらしい。

   冬のまるちゃん - コピー
       冬のマルちゃん(むくむく冬毛)


  夏のまるちゃん

      夏のマルちゃん(夏毛で別人に)



4年前にマンションの改修工事が行われた時、足場が組まれて
マンション全体にカバーが掛けられ、ベランダには出られない
生活が3ヶ月続き、完成した後もマルちゃんを出さなくなった。

もう14歳という年齢だから、外に出て行ってしまうと
帰ってこれなくなるかもしれないと思った。

過去には、うちのベランダに侵入しようとしたニャンコさんと
家を守ろうと戦って、結果命を落とした子もいた。

こちらも今や膝痛に悩む年齢で、もし外に出て行ったら
捜したり、助けに屋根に登ったりも出来なくなっている。

だから4年近くの間、マルちゃんも含めてニャンコさんたちは
ベランダに出さなかったんだけれど、もう限界だ。

ではどうやって、ベランダで暮らしてもらいながら、
外には出られないようにするか?

それはベランダに柵をして囲って出られなくなるようにする
作戦だった。ラティスで囲ってしまえばいいよね?

ではどんな風にすればいいの?

イメージはネットで画像検索して出来上がった。
結束バンドで組み上げたという素敵な画像があったけれど
こっちはド素人、ホームセンターに行って材料を見たり
イメージだけは膨らんだけれど、技術的には不安だらけ。

実際自分で上手く出来るものなのか? 
マンションだから制約もあるだろうし、悩みは尽きない。

実際問題、DIYで可能なのか?

結果は、やっぱりプロに頼もう! だった。
ラティスの加工は自力では無理だろうし工具も無いし、
以前うちのリフォームを頼んでいたTさんが居るじゃないか!

ちょっと大げさな気もするけど、プロに頼むのが一番だ。

早速依頼すると、すぐに来てくれて寸法を計り、早速一緒に
ホームセンターへ。必要な材料を購入して工事日を決定。
さすがプロ、仕事が早い。

さて、思うような出来になりますでしょうか?



(以下 マルちゃんの思い出③ に続く)





マルちゃんの思い出 ①

実は、ブログを再開しなきゃと思った一番の理由が、
マルちゃんのことだった。

1998年の1月17日生まれのマルちゃんが、この6月29日に永眠。
18歳と5ヶ月余りの人生でした。


 凛々しいマルちゃんの横顔


今年に入ってから、足腰が弱ってきたマルちゃん。
さすがにお年ですからね、仕方ない。

一日ダイニングテーブルの上で寝て過ごすようになっていた。
それでもベランダに出たがったけど、万が一にもベランダから
外に出て行ったら危ないから出さなかった。

出さなかった結果、3月には毎日のように、それも複数回、
私の寝床でおもらしをするようになった。

マルちゃんボケたの? とも考えたけど、きっと違う。
嫌がらせだ。外に出さないからだ。
だって大きい方は、ちゃんとトイレでするんだもの。

毎日、私が寝ている時にされるものだから、驚いて飛び起き
洗濯を始めることになる。堪忍してくださいよ。

以前から時々おもらしはしていたので、おねしょパッドは
敷いていたけど、そんなものは一時しのぎ。
掛ふとん、毛布、シーツ、おねしょパッドを毎日洗濯だ。

昔から考えると、マルちゃんに荒らされて、羊毛布団2枚、
羽毛布団2枚を捨てて、今使っているのはポリエステル。
安いけど洗えるのが魅力の掛ふとんだけど、さすがに毎日
洗っているとほつれが出来てくるほどだった。
洗い替えにもう一枚購入したけど、それでも間に合わない。

浴室乾燥機を付けて良かった~とは思ったけど、
狭い浴室に一度に干せるものは限られている。
仕方なく室内物干しを買って、ひと部屋が物干し部屋に。
でも3月はまだ寒くて、干してもなかなか乾かない。
タオルケットにくるまって、震えながら寝た夜もあったよ。

そんな日が1ヶ月も続き、さすがに耐えかねた私が考えた
最終案は、マルちゃんにベランダで暮らしてもらおうと
いうものだった。


(以下 マルちゃんの思い出② に続く)








たま駅長

突然の訃報だった。

たまちゃんが天国に旅立った。


 Station-Master_Tama.jpg


(以下記事からの転載&引用など)


たま駅長、天国へ 見舞いの和歌山電鉄社長に「ニャー」と
別れ際に…“招き猫”の仕事全う、悲しみの声相次ぐ

6月22日に、天国へ旅立った和歌山電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫駅長で同社長代理の「たま」(メス)。急性心不全とみられ、人間の約80歳に相当する16歳だった。


たまは5月19日に鼻炎で体調を崩し、療養していた。天国に旅立つ前日の21日、和歌山電鉄の小嶋社長が見舞った際も衰弱し寝ていたが、社長が「来年は駅長就任10周年をやろうね」と声をかけると起き上がり、「にゃあ」と答えたという。一緒に見舞った山木慶子さん(取締役)は「元気そうで安心して帰ったのに、まさかこんなことになるなんて」と涙声で振り返った。

山木さんは、「21日(死ぬ前日)に写真を撮ったんです。そうしたら、シャキッと座って。お仕事だと思っていたんだと思いますね。たまちゃんは、永久にこの貴志駅にいると思っています」と話した。山木さんは「たくさんの方に愛され、猫を超えた神様のような猫でしたが、本当に神様になってしまいました」と、しのんだ。

たま駅長は、最後に「にゃー」と鳴いて、息を引き取ったという。

和歌山電鉄は6月28日午後0時半から貴志駅で社葬を執り行う。
小嶋光信社長は功績をたたえ、「名誉永久駅長として永遠にその名を刻み、残したい」と表明し、悼んだ。

駅前の商店で飼われていたたまは、2007年1月に「猫の駅長」に就任。物珍しさと愛らしさで一躍人気者となり、存続の危機にあったローカル鉄道に多くの乗客を呼び込む「招き猫」として話題を集めた。

写真集などグッズの売り上げでも貢献し、社内でも昇進。
2008年にスーパー駅長、2013年に社長代理に出世。昨年は貴志川線総駅長職「ウルトラ駅長」に就任した。駅舎も10年には猫を模した新駅舎に模様替えし、和歌山県、紀の川市の顔として地域や乗客に笑顔をもたらしてきた。

4月29日に16歳の誕生日を迎え、「傘寿」を祝ったばかりだった。

和歌山県の仁坂吉伸知事は「観光のスーパースターとして国内外から絶大な人気を誇り、県の観光振興に大いに貢献した。深い悲しみとともに感謝の気持ちでいっぱいだ」とのコメントを出した。



たま駅長の写真が飾られている貴志駅には24日、近所の住民らが訪れ「天国でゆっくり休んで」と写真に触れながら、これまでの活躍をねぎらっていた。


たま駅長は国内外のメディアが数多く取り上げ、アジアを中心に、たま駅長見たさに和歌山を訪れる外国人観光客も増加した。その功績をたたえ、和歌山県は「県勲功爵(わかやまでナイト)」や「県観光まねき大明神」の称号を贈った。


仁坂吉伸知事は「たま駅長は観光のスーパースターとして国内外から絶大な人気を誇り、観光振興に大いに貢献してくれた。突然の訃報で、深い悲しみとともに感謝の気持ちでいっぱい。どうか安らかに永眠してほしい」とコメントした。






(以上転載引用など)


              たま駅長 
 



(たまちゃん)

1999年4月29日生まれ~2015年6月22日没。女の子。
駅前の商店で飼われ、利用客にも人気だった「駅のアイドル」は、2001年1月、小嶋社長の発案で駅長に任命された。主業務は「客招き」。給料
(年俸)はキャットフード1年分だった。

かわいさと珍しさで客を呼び、廃線も危ぶまれた赤字ローカル線の乗客数は、就任前と比べ約35万人も増えた(昨年度実績)。写真集などグッズ売り上げにも貢献した功績で「スーパー駅長」「ウルトラ―」の肩書が付き、社長代理まで昇格。和歌山県からも「県観光まねき大明神」の称号を受けた。社葬は神式で、仏教でいう戒名にあたる諡(おくりな)にも「大明神」が付くという。


たまちゃんは実際に会った事はないけれど、話題にもなっていたし
なにせその地元の貴志川町出身の友達がいたので馴染み深い。

一度お土産に、たまちゃんのハンドタオルや缶バッジなどをもらい
今も大切にしている。会いに行けばよかった。

16歳というのなら、天寿を全うしたと言ってもいいのだろう。
みんなに愛されて、きっと幸せな人生だったんだと思う。

でも「まだ若いのに・・・」とも思うのは、うちのマルちゃんが
17歳と5ヶ月でまだ元気だからだろう。
とはいえ寝ていることが多くなったなあ。

たまちゃん、あなたは多くの人を笑顔にし、幸せな気持ちにさせたと
思います。天国でのんびりお昼寝をしてください。RIP.


THE WALLSTREET JOURNAL でも記事になっていましたよ。
みんながあなたの死を悼んで残念がっています。

Tama, a popular “station master” cat who attracted tens of thousands of tourists each year to a rural train line in Japan, died Monday. She was 16.

Tama was one of the best known cats in Japan for her honorary position in charge of Kishi station in Wakayama prefecture, western Japan, a role that inspired the introduction of feline station masters in other parts of the country.

After taking the job in January 2007, the calico cat drew an increasing number of tourists to the station each year, including many from overseas, helping turn around a railway line that was once in the red and stimulate the local economy.

For her contribution to the train line and the local area, Tama was given an award from the governor of Wakayama in 2008 and promoted to deputy president of Wakayama Electric Railway in 2013.

“We are proud to have worked with Tama, who appeared in this world as a saviour for Wakayama Electric Railway as well as regional train lines throughout the nation,” Mitsunobu Kojima, president of train company, said in a statement.

“We will name her as an eternal station master emeritus,” he added.

Prefectural Gov. Yoshinobu Nisaka will attend a funeral on Sunday at the station where she served.

Tama died of heart failure.

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Author:ちびねこナッチ
ボウリングと映画と
海外ドラマが好き!
話には脈絡がありません。
日記代わりというか備忘録。

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